こんにちは、なちです。
「自由を育てる魔女」を名乗っているわたしですが、どこかの組織に属しているわけではなく、現在はソロ魔女です。
まだ名乗り始めて半年くらいの、ピヨピヨのひよっこ魔女ですけども。
そんなわたしですが、魔女のことをあれこれ考えているうちに、ふと思ったんですよ。
そういえば、わたしっていつから魔女とか魔術が好きだったんだろう?
って。
改めて昔好きだったものを辿ってみると、これが意外と魔女とか魔法とか、そういうものの近くをずっとうろうろしているんですよね。
魔女を意識した一番古いところにいるのは『魔女の宅急便』じゃないかな。
……たぶん。
子どものころ普通に好きだったし、箒で本当に空を飛べたら楽しいだろうなっておもったし。
使い魔が黒猫なのもキュートで素敵ってなります。
いまは、キキのお母さんみたいに薬を作って人の役に立つ暮らしや、森の小屋で絵を描いているウルスラの自分らしく生きている感じも好きです。
ただ、当時のわたしがそんなことまで考えていたはずはなく。
単純に、「魔法が使いたい!」という、こども心からの憧れみたいなものでした。
ファンタジーから、現実の魔術へ
中学生のころは運動部に所属していたこともあり、毎日が部活で忙しくて、魔女がどうとか考えていた記憶はあまりありません。
ただ、『スレイヤーズ』や『魔術士オーフェン』といった魔術師や魔法が出てくるサブカルにしっかりハマっていました。
高校生になると、いわゆるオタク友達もできて、二次創作をはじめるようになりました。
自分で書くタイプのオタクちゃんへ進化したわけです。
そしてそのころから、書店で売っているオカルト系の本やタロットカードにも手を出すようになりました。
ファンタジーに出てくる魔術の元ネタや、創作に使えそうなネタを探しているうちに、現実に研究されていた魔術や、実際の魔術書にも興味を持つようになりました。
そこからドンドンと魔術、魔女、秘術といったオカルト方面に興味がわき、書店で関連する書籍を見つけるたびに買うオタクの誕生です。
知識として読むだけでも面白かったし、実際に魔術をやってみたい気持ちもありました。
ソロモンの鍵やクロウリーの魔術書なんかも読んで、書いてある瞑想やちょっとした儀式を実際に試してみたりしたこともあります。
今考えると、高校生のわたし、思っていたよりちゃんと魔術をやろうとしていましたね。
魔法は好きだけど、魔術はやらなくなった
高校生のころには『ハリー・ポッター』の1巻も発売されて、そこからしばらくハリー・ポッターにもハマりました。
魔法の世界そのものは相変わらず好きでした。
ただ、高校を卒業してからは、現実世界で自分で儀式をしたり、魔術を勉強したりすることはだんだんとなくなっていきました。
なんというか。
生きるのでいっぱいいっぱいだったんですよね。
いや、社会人になってからもオタクな活動とかはしてましたし、魔法やファンタジーに対して興味が薄れたわけでもありません。
ただ、
「よし、魔術やろう!」
とはならなくなった。
そんな状態がかなり長いこと続いていました。
そして、なんとなくタロットに戻ってきた
そんなわたしが今年の初めごろ、なんとなく、「またタロットやってみたいな」と思いまして。
べつに「自由を育てる魔女と名乗ってるから、魔女らしくタロットでもやろう」というわけではないんですよ。
本当になんとなく、昔はタロットカードとか買ってたなあ、という懐古心だったんです。
それで、またタロットやってみようかなとなりまして。
書店で散々迷った結果、カード付きのタロット占いの本を買いました。
まあ、積んだんですけどね。
積読というやつです。
いや、一回は本を開いたんですよ。
ただ、本をぱらぱらと読んでいるうちに、「そうだった。カードの意味を覚えないといけないんだ」となったんです。
わたし、暗記ってすこぶる苦手なんですよね。
後日、カードの意味を暗記することも大事だけど、それだけじゃなくて、カードをじっくりみて、そこから感じ取っていくことも大事という考え方も知りました。
「なるほど。それならわたしにもできるかも」
と思って、最近になってようやく、またカードを触り始めています。
自分の好きな暮らしを考えると、なんだか魔女っぽくなる
ここ最近は、タロットだけじゃなくて、また魔女やハーブ、アロマなんかにも興味が向いています。
魔女の儀式や、タロット以外の占い、ハーブやアロマについて、もっと知りたいという気持ちもある。
季節を感じて、自然に寄り添って生きることにも興味と憧れがある。
たとえば、魔女にはサバトと呼ばれる祝祭があります。
あまり魔女に詳しくない人からすれば、魔女の儀式といえばコレ!みたいな認識をされているんじゃないでしょうか。
かくいうわたしも、魔女の儀式といえばサバトが真っ先に思い浮かびます。
魔女には、冬至や春分、夏至、秋分など、季節の節目を祝う8つのサバト(祝祭)があります。
おなじように、日本にも季節の節目ごとに行事がありますよね。
お正月に、節分や桃の節句、夏越の祓、七夕、お盆、冬至に大晦日などなど。
日本の季節行事と魔女のサバト(祝祭)。
どちらも自然を大切にする精神に根付いているものだと、わたしは考えています。
この2つは、わたしの中で最初から繋がっていたわけではありません。
「サバトがあるから、日本の季節行事を大切にしよう」と思ったわけでもない。
でも最近になって、なんとなく奥のほうでつながった感じがしています。
季節の移り変わりを感じること。
自然の恵みに感謝すること。
そういうものを大切にしながら暮らすのって、いいなあと。
わたし自身もここ10年くらい、忙しさにかまけて日本の季節行事をちゃんとやっていませんでした。
年末ぎりぎりまで仕事をして、年明け4日には仕事が始まる生活では、ゆっくり季節を味わうとかないんですもの。
正月休みすら、ただの連休で終わっちゃう。
だから、ちゃんと季節を感じる生活をしたいんですよね。
別に魔女の祝祭をしたいとかいうわけではなく。
ちゃんと季節の移り変わりを感じて、自然の恵みに感謝する。
そういう暮らしって、わたしが魔女のサバトに感じているものとも、どこか似ている気がするんですよね。
つまり、わたしがこういうふうに暮らしたいなという理想が、そのまま魔女の暮らしっぽくなる。
それにほら、こんなことを言うと「いやいや」と言われるかもしれませんが、魔女のサバトをそのまま日本でやればいいのかというと、それもちょっと違う気がしているんですよね。
だって、サバトは西洋魔女たちの儀式のわけで。
西洋の季節に合わせて生まれたものなら、日本で暮らしてるわたしは、日本の季節に合わせたほうが自然なんじゃないのと思うのです。
結果的に、魔女暮らしになっていくのかもしれない
魔女らしく暮らすために特別な何かをしたいというものではありません。
季節をちゃんと感じたい。
自然を大切にしたい。
ハーブを育てたい。
好きなことを学びたい。
自分の知識や経験を、自分の暮らしの中で使いたい。
自分の時間を、自分の感覚で生きたい。
そんなふうに、自分が大事にしたい暮らしをひとつずつ考えていったら、結果的にわたしが思う「魔女の暮らし」に近づいていくような気がしています。
こどものころは、箒で空を飛ぶ魔女に憧れて。
高校生になったら、本当に魔術をやってみたくなって。
長いこと離れていたのに、気づいたらまたタロットを触っている。
そして今は「自由を育てる魔女」なんて名乗っている。
こうして振り返ってみると、どうやらわたしは昔から、魔女とか魔術とか、そういうものが好きだったんだなあと改めて思います。
途中で魔術から離れていた時期も長かったけれど、魔法やファンタジーはずっと好きだったし、昔好きだったものをひとつずつ辿っていったら、気づけばまた魔女のところに戻ってきていました。
でも、高校生のころとまったく同じではありません。
あのころは、魔術そのものへの興味が強かった。
今はそれだけじゃなくて、魔女的なものが自分の理想の暮らしともつながり始めています。
魔女らしく暮らそうとしているわけじゃないのに、自分が大事にしたいものを集めていくと、結果的に魔女の暮らしになっていく。
なんだ。結局また、魔女に戻ってきたんじゃん。
そんなことを思ったのでした。


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