人生を変えるために、別の誰かになる必要はなかった

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こんにちは、なちです。

突然ですが、「今の自分を変えたい」と思ったことはありますか?

もっと仕事ができる人になりたい。

何か特別な才能が欲しい。

周囲から認められるような人間になりたい。

昔のわたしは、そんなことばかり考えていました。

自分には何もない。何もできない。

だから、何かを身につけなくちゃ。ちゃんとした大人にならなくちゃ。誰かに認められるような人間にならなくちゃ。

そうしないと、今の不自由な人生から抜け出せないと思い込んでいました。

でも、40代になって、そうじゃないと気がつきました。

人生を変えるために、別の誰かになる必要はないんだ。

今回は、そんなふうに考えるようになった、わたし自身の話です。

目次

何者かにならなければ、人生を変えられないと思っていた

わたしが高校生から大学生くらいの時期は、いわゆる就職氷河期でした。

商業高校に通っていたので、高校卒業後に就職することも考えていたのですが、そもそも求人を出している企業が少なかったんですよね。

同じ商業科を卒業した友人から、初任給が16万円くらいだったという話を聞いたこともあります。

当時のわたしにとって、社会に出て働くということは、希望に満ちた未来というより、先の見えない不安のほうが大きかったように思います。

この先、ずっとこんな感じなのかな。

自分には何もできないし、特別な才能もない。

何かを成し遂げられるわけでもなく、何の価値もない人生を送って、そのまま意味もなく死んでいくのかな。

今思えば、ずいぶん極端な考え方をしていたなと思います。

でも、当時は本当にお先真っ暗に感じていたんです。

だからこそ、何か特別な才能を持つ人になりたかった。

周囲から認められる、有能な人になりたかった。

それも、ただ誰かに褒められたいというより、自分が有能だと思う人から「あなたは有能だね」と認めてもらえるような人間になりたかったんです。

そうすれば、自分にも価値があると思えるかもしれない。

将来に対する不安や、惨めな気持ちも、少しはましになるかもしれない。

そんなふうに考えていたんです。

自分の答えを信じられなかった

昔のわたしは、自分のことがあまり好きではありませんでした。

自分には能力がないと思っていたし、実際に知識が足りなくて失敗したこともたくさんありました。

自分で決めたことで失敗するたびに、「やっぱりわたしの判断は間違っていたんだ」と思うばかり。

どんどん自分に自信がなくなっていき、人生の大きな節目では、自分の考えよりも他人の意見を重視していました。

自分よりも知識がある人。

自分よりも経験が豊富な人。

自分よりも有能な人。

そういう人の意見のほうが、きっと正しいはずだと思っていたんです。

でも、今になって考えると、他人の意見を求めていたこと自体が問題だったわけではないんですよね。

知らないことを人に聞くのは大切だし、経験者の意見が参考になることもたくさんあります。

問題だったのは、自分の答えを、自分自身が信じられなかったこと。

自分の選択が失敗したら、それは自分自身に価値がない証拠のように感じていた。

だから、誰かの正解を求めていたのかもしれません。

「わたしはわたし」と思えるようになってきた

そんなわたしですが、40代になった今は、少しずつ考え方が変わってきました。

何か劇的な出来事があったわけではありません。

単純に歳をとったからかもしれないし、これまでの経験が積み重なったからかもしれない。

自分軸ブログに出会ったことも、影響しているのかもしれません。

正直、何がきっかけだったのかは、はっきりわからないんです。

ただ、昔と比べると、

「わたしはわたしなんだから、無理してわたし以外の何者かになる必要はない」

と思えるようになってきました。

もちろん、今の自分に何も不満がないわけではありません。

できないこともたくさんあるし、知らないことだって山ほどあります。

老後のお金も心配だし、理想の暮らしを実現するには、まだまだやることがいっぱいです。

それでも、今のわたしには「こういう生き方をしたい」という目標が、うっすらとでもあります。

お金や時間に縛られず、自分の「やりたい」を大切にしながら暮らしたい。

自分の好きなものに囲まれて、静かに、自分の時間を楽しめる生活がしたい。

そのために家計を見直したり、勉強したり、ブログを書いたりしています。

途中でブログが書けなくなった時期もあったけれど、こうしてまた書いています。

昔のわたしだったら、何か成果を出さなければ、自分には価値がないと思っていたかもしれません。

でも今は、まだ成果が出ていなくても、自分の望む方向に向かって動けていることに意味があると思えるんです。

自分を変えることと、別の誰かになることは違う

昔のわたしは、

「自分を変える=自分ではない何者かになること」

だと思っていました。

今の自分ではダメだから、もっと有能な人間にならなければいけない。

何か特別な才能を身につけて、周囲から認められるようにならなければいけない。

そうしないと、人生は変わらない。

でも、今はそうは思っていません。

自分を変えることと、別の誰かになることは、まったく別の話なんですよね。

例えば、わたしは過去にお金のことで大きな失敗をしています。

借金を抱えて、これはまずいと思って、債務整理をして、時間をかけて完済しました。

その経験があるからこそ、知識って大事だなと思っています。

知らなかったから失敗したこともあるし、知っていれば避けられたこともあったはずです。

だから今は、お金について勉強したり、家計を見直したりしています。

でも、それは昔の自分に価値がなかったからではありません。

これから自分が望む人生を生きるために、必要だと思うことをしているだけです。

自分で選んだことが失敗したとしても、それは単に、その選択がうまくいかなかったということ。

知識が足りなかったのなら、次は知識を身につければいい。

やり方が合わなかったのなら、別のやり方を考えればいい。

失敗したからといって、自分自身がダメな人間だということにはならないんですよね。

自分を否定して別人になろうとすることと、自分の望む人生のために成長することは違う。

昔のわたしは、この二つを同じものとして考えていたんだと思います。

それを別々に考えられるようになったから、以前のような焦りが少なくなったのかもしれません。

人生は相変わらずハードモードだけど

ここまで書いてきましたが、別にわたしの人生が劇的に好転したわけではありません。

今も会社員として働いているし、経済的に自由になったわけでもない。

将来への不安だってあります。

むしろ、現実的に考えなければならないことは、昔より増えているかもしれません。

相変わらず、人生ハードモードだなぁと思っています。

でも、昔よりは息がしやすくなりました。

それは、何か特別な才能を手に入れたからでも、誰かに有能だと認めてもらえたからでもありません。

「わたしはわたし」と思えるようになってきたから。

そして、今の自分を否定しなくても、自分の望む人生に向かって動いていいと思えるようになったから。

未来への不安がなくなったわけではないけれど、その不安に向き合う自分のあり方が、少し変わったんだと思います。

何者かにならなくても、自分の人生は選べる

もし、昔のわたしと同じように、

「自分には何もない」

「もっと有能な人間にならなければ」

「今の自分では人生を変えられない」

と思っている人がいたら、少しだけ考えてみてほしいことがあります。

あなたは、何のために自分を変えたいと思っているのでしょうか。

誰かに認められるためでしょうか。

それとも、自分が望む人生を生きるためでしょうか。

もちろん、望む人生を実現するために、知識やスキルが必要になることもあると思います。

努力しなければならないことも、きっとあるでしょう。

でも、そのために今の自分を否定する必要はないんじゃないでしょうか。

誰かのようになれなくても、自分の望む生き方を考えることはできる。

まだ何も成し遂げていなくても、これから何をするかは自分で選べる。

わたし自身、まだまだ理想の暮らしを実現する途中です。

失敗もするだろうし、悩むこともあると思います。

それでも、もう別の誰かになろうとは思っていません。

自分を否定するのをやめたら、少しずつ、自分の人生を選べるようになってきました。

これからも、わたしはわたしのまま、自分の望む人生に向かって進んでいきたいと思います。

わたしの人生に魔法をかけるのは、わたし自身。

あなたの人生に魔法をかけるのは、あなた自身です。

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